入院42日目 介護保険申請

毎度の事、しばらくぶりになってしまいました。

 

さて、続きから!

 

先日も入院先の病院のケアマネージャー?退院支援の担当の方から、介護保険の申請について教えていただいた。

母の場合、脳梗塞で失語とはいえ、麻痺があるわけでも、他者とコミュニケーションが取れないわけでもないので、介護申請をしても、要介護の認定がもらえないかもしれませんが、介護保険料を毎月支払っているので、保険申請をしてみてはどうですか?

仮に、要介護の認定が貰えなくても、色々な情報をおしらせしてくれますよ!

との事だったので、どうすれば介護申請ができるのかを伺った。

①まずは、母の自宅管轄の在宅介護支援センターもしくは、市区町村の高齢福祉課などで申請書を提出する。

②後日、自宅、もしくは病院(介護を必要としている人が居る場所)に訪問調査者がいらして、介護を必要としている人と接見。いくつかの質問やお話等をする。

③結果の通知書と保険書が届き、要介護区分等が記載されているらしい.....

 

時間がかかるので、早めに申請をした方が良いですよ!

 

との事だったので、在宅支援センターに行って、申請書類を提出してきた。

 支援センターの人からは、たぶん今から申請いただくと入院病院の方に訪問調査者が伺うと思いますが、詳細は私の方に連絡が入るということだった。そして介護サービスのガイドブックをいただいた。

 

本当に介護保険申請といい、このガイドブックといい、まだまだ私の知らない世界はいっぱいだ!

因みにいただいたガイドブックの内容は、何と言ったら良いのかなぁ...

良く駅に置いてある美容院とかのフリー情報誌を、介護関係にした感じ?

表紙には...

「介護が必要になった方やご家族のための介護と介護保険ナビ・マガジン」

と書いてあります。

一応、外部委託とはいえ市区町村のガイドブックなので、保険の仕組みや保険料についての説明はのっています。そして、求人雑誌のように、それぞれの段階に必要になりそうなディケアの病院や訪問介護、食事の宅配など色々な業者がいっぱいあって、かなり商売っ気がある1冊になっていました。

でも、知らないことがいっぱい載っているので、役立つ1冊ではありました。

 

帰りに病院に寄り母に申請をしてきたことを伝えて、ガイドブックを渡した。

母も以前よりは、鬱っぽい症状もなくなっていたが、転院に向けての脳トレがかなり難しくなっている様子で、毎日大変だと言っていた。

がんばれ、がんばれ!!

 

 松山千春....母は全然聞いたことがないけどね...

 

39日目 転院先病院で打合せ

久し振りのブログになってしまった。が、続きから書こう。

 

母の転院先病院は、母の家から歩いても行ける距離にあった。新しくできた病院で、そんなところに病院があったことに母も私も気が付かなかった。

まずは、HPで下調べ。

新しいだけあって、施設も設備も素晴らしく、スタッフについてはよくわからないが、HPを見ていると、素敵な有料老人ホームみたいな感じに思えて、金額の事が不安になった。

 

案の定、病院の話としては.....

 母の退院期限(病名がついた日から2か月)、一か月くらいの間でベットを用意できるのは、個室しかないということ、個室の差額ベット代は大体1日10,000円で着替えなど身の回りの品もこの料金に含まれる。

 リハビリ時間は、1日3時間だけど、すべての時間に失語に関するトレーニングができるわけではなく、体力回復するトレーニングと並行する。

1度入院すると、退院までは大体1ヵ月単位で決まっていく。ということは、最低1ヵ月はかかるということ。

 万が一、4人部屋が空いたとしても、おそらくその部屋では眠れないと思う。なぜかというと、4人部屋は重度の認知症のお年寄りがほとんどなので、夜中に奇声を発したり、俳諧したりと母のような認知症ではない人は、夜眠れないと思います。とのこと。

 

結果、個室が空いたらということで、空き次第病院に連絡が来ることになった。

 

 転院病院との話し合いの内容を母と病院の担当の方にお話しして、病院からその話をすすめてもらうことにした。

母も個室ということにかなりの抵抗を感じていたみたいだが、4人部屋では眠れないと承知したのか、おそらく1ヵ月で退院だろうということで、転院を納得した。

 

帰りに母と少し話して、今も眠れていないというので、担当の看護婦さんに睡眠薬をだしてくれないか頼んで、その日は帰った。

 

帰り道、私も月30万なら母の保険の特約で払うことが出来そうだ!と思ったが、お金がかかりそうだなぁ....等と、色々考えながら、家路に向かった。

 

母も少し吹っ切れた感じに見えたが!?

 

そういえば、近所の介護保険事務所みたいなところを紹介された。母は日常生活を普通にこなせているけど、介護認定の申請をしてみてください。と言われた。

その事務所の話はまた次回。

 

母の安心保険だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

入院36日目 母がおかしい。

 

 

昨日、母から電話があった。

明日外泊をしたいから迎えに来て!ということだった。今週は私も忙しいし、先週帰ったんだから、今週だけは我慢してくれないか?とお願いして一度はあきらめた母だったが、数時間後にやはり帰りたい。と言われた。イラつきながらも、明日迎えに行く約束をした。

電話を切った後、何か違う母の様子を思い出した。電話で言葉が出にくくなっていた。

入院したての頃の言葉の出ない感じにすごく似ていて不安な気持ちにもなったが、その時は、この忙しいときに.....とイライラの感情で、気が付かぬふりをした。

 

そして、イライラを押し殺しながら次の日、病院に迎えに行ってから実家に届けて、今回は病院に送っていくのは父に頼んだ。

 

帰りに、やっぱり母の言葉は出にくくなっているし、少し落ち着きもなく、鬱っぽい。と確信した。それとなく、母に聞いてみたが、やはりこの頃眠れないといっていた。そして、病院を転院する話が具体的になっていて、そのベットが空き次第ということで、私に病院の地域医療担当?のかたに会ってくれというのだ。頭がパニックになって話を私にうまく伝えられないかららしいのだ。

そして、週明けにその方に会って、その日の内に病院にも行ってきた。これで母は納得するのかと思ったが、まだまだ鬱っぽく落ち着かない感じがあるので、内心、また脳梗塞が起こっているのではないか?と先生に検査を頼もうかと思うくらいだった。

 

ただ、倒れる前にも同じくらいの季節で、夜眠れないくて少し鬱っぽいと言っていたことがあったと思い出した。脳梗塞と鬱とは関係がないんだなぁ.....と気が付いた。

 

転院も色々とあるし.....その話は次回につづく。

 

母の脳トレように買いました。 

暇つぶしにはなるらしいです。

思わず解きたくなる脳のための毎日テスト

思わず解きたくなる脳のための毎日テスト

 

 

 

入院33日目 最初の入院費。

昨日の老人姉弟大集合に続き、今日は母の二度目の外泊。

前回は、お赤飯をちゃんと作れたし、初めての外泊ということで、みんな恐る恐るだったけど、二度目の今回は、ちょっと慣れた感じ。

そうそう、入院費の第一回目支払額は......10日で.約¥7万円。

集中治療室2日、一般病棟2人部屋の一人使用4日。MRI2回、CT1回、アルテプラーゼ1回かなぁ.....?

明細書を見ても良くわからず、まとめて書いてあるみたいなところもあり、大体こんな感じです。因みに、後期高齢者医療書1割負担です。思ったより安かった。と母とも話していたが、入院がいつまでなのか?既に1か月は入院しているから、長い場合は転院もあると言っていたし、こんな出たり入ったりがいつまで続くかわからない。本当は早く退院して落ち着きたいけど、1人だとまだ不安はある.....と母。

 

入院して1か月、少しづつこれからの事を考える余裕がでてきたことには変わりがないのだろう。脳トレリハビリとはいえ、麻痺があるわけでもない自分が、やはり、入れ替わりの激しい4人部屋で、時にはおならも我慢する生活を続けてなくても良いのじゃないかと、思い始めたというか、ストレスの限界になってきたのかもしれない。

 

今回は、やるべきことを考えてきたらしく。まず、生命保険の書類の話を私とした。そして、買い物に行ったり、色々と支払いをしたりと、結構忙しく、一通り用事を済ませて、私は帰った。

私も今週は、忙しさのピークなので、時間にも気持ちにも余裕がない。本当は明後日、母と一緒に病院に戻る時間も惜しい。

 

こんな時、仕事をしながら介護などをしている人が、みんながんばってるんだなぁ...とつくづく思う。親の面倒を見るということの重圧。これは、一つ間違えると、子供の人生が変わってしまうくらいになるということが、リアルに想像できるようになった。

母が倒れて1か月、この頃、気が付くと家が汚くなっていたり、家事が残っていたり、買い物に行けず、常食が冷蔵庫になくなる日が出始めていることに気が付いた。

主人は、2年前に父を亡くしているので、そのことに関して文句を言われたことはないが、自分の中で危機感があるのは、この頃すごくわかっていて、私自身も、早く母のこれからの方向性がというか、スケジュールを教えてほしい!!

明日は娘の発表会。とりあえず、それが終われば1つは気持ちの余裕ができるかな?....

 

この頃、娘を主人に任せることが多いので、二人の為に買いました。

5才の娘にもできる。子供用囲碁です。(主人は囲碁ができません。)

 

よんろのご(日本棋院推薦)

よんろのご(日本棋院推薦)

 

 

入院32日目 いくつになっても姉弟だね。

入院1か月経って、そろそろ私の叔母や叔父からもお見舞いに行きたい!

と催促されていたのを断り切れず、みんなと一緒にいざ病院へ!!

 

母は77歳、叔母は87歳、叔父は82歳。そして叔父の奥さん75歳。とまぁ...

みんなお年寄り!母は8人兄弟の下から二番目。既に4人は亡くなっているので、残り4人。みんな年の割には若く見える。少し自慢。私もそのDNAが入っているのはうれしい。そして、仲良しだ。

当初、母が倒れたことを内緒にしていたが、電話を頻繁にしている仲なので、ばれるのも早かった。お年寄りだから、もっと早く知らせろとか、病状をまめに報告しろとか....年寄りならではのワンマンぶり!もう慣れているど、たまに少し怒ってみるのも悪くない!私も色々と本当に忙しいのだ。

子供の習い事の役員引継ぎ。幼稚園の新年度役員の引継ぎ。お昼を毎食食べに帰る旦那さんの世話。何でもかんでも「ママずっと見てて~」の娘。習い事の発表会準備など....そして、私もまぁ病人。実は月1回、チョコレート嚢胞治療の注射を打っている。ようするに、注射で生理を止める、プチ更年期状態。ホルモン注射のホットフラッシュや頭痛、イライラなどの中、母の事で、ギリギリなのだ!

 

病院につくと、喫茶室みたいなところでみんなでお茶を飲みながらの会話。母もやっぱりみんなといると楽しそう!そして、叔父も実は先日右目の裏の血管が梗塞を起こし、今は右目の視力がほぼないらしい。そして最後は誰が逝ってもいい歳だねぇ~と会話成立して、みんなで病院を後にした。

 

母とわかれた後、叔父も叔母もみんなが本当に驚いていた。話していても全然脳梗塞を起こした人に見えないね~。と本当に喜んでくれた。叔父はともかく、叔母はかなり母に頼っていたので、心細くなったのだろうか?本当に会うまでは気が機でなかったのだそうだ。いくら私が大丈夫と説明しても、やはり百聞は一見に如かずなんだね!

 

そして、明日は2泊3日のお泊り2回目。実は先週からずっとそうとう忙しい私だったので、母の病院にも毎日のようには来れないので、今週のお泊りは我慢して!と伝えたのだが、気になる白髪を染めたかったり、家の状態も不安だったらしく、お願いされた。父も仕事で忙しいので、やはり私が行くしかない。

 

やはり、1か月というのは、知らず知らずに溜まったストレスが吐き出される時期になってしまうのかもしれない。

少し疲れた。

 

そういえば、春先は攻撃的になると、前回紹介した「壊れた脳 生存する知」に書かれていたなぁ.....高次脳機能障害の方

 

壊れた脳 生存する知 (角川ソフィア文庫)

壊れた脳 生存する知 (角川ソフィア文庫)

 

 

が周りにいらっしゃる方、お薦めです!

壊れた脳 生存する知 

 

 

入院25日目 リハビリの先生と.....

今日はリハビリの先生と、主治医の先生との面談。

 

10時の約束で、間に合うようにバスに乗っていたら、母から電話。

昔から、人を待たすことが嫌いな母だから、遅刻常習犯の私が先生たちの約束に遅れるのではないかと、気がきでないのだろう。

移動中なので電話にはでず、すぐに病院。母の病室に着くと同時にリハビリの先生が声をかけて下さった。

母は今、リハビリ室で問題をやっていて、私と2人で母と会う前に話したかったと呼びに来てくださったのだ。

先生の話は要するに....、退院を勧められるかもしれないが、今が一番脳が復活しようとしているときなので、リハビリを続けることが大事です。ということ.....要はがんばって病院に残れということなのか?と勘繰る。

母は最初の段階よりも、読み書きも計算も理解力もすごく上達しているが、母の性格上、声がかかればまた仕事をしたいと思っているみたいなので、その時にちゃんと電話が出来たり、メモがとれたり、相手の行動を予測して行動できたり...と以前のように少しでも近づいて退院なり、転院なりをしてほしい。と!

実は、先生いい人だわ!

先生とそんな立ち話をしてすぐに母のところに二人で戻る。

丁度、問題を解き終わり、採点をしてから夕方に病室に持って行くと言って次の問題。今度は、母が一枚カードをひく。カードにはマグカップの絵が描いてあり、先生に見せずに母がその絵の特徴の説明をして先生が何が書いてあるかを当てるという練習。

母は、思いの他、言葉が出ない。そこで先生がヒントをくれる。それは食べ物ですか?とか、何に使いますか?とか色々と言葉をひきだしてもらって、やっと先生が正解を出す。

難しいよね~!

そして、二人で母の病室に戻り、しばらくして今度は脳外の女医先生。

案の定、私から見た母の状態を聞き、脳外てきには問題ないから、失語で生活が不安ならリハビリ病院に転院を勧められた!

ビンゴ、私の予想も、リハビリの先生の予想もだ。

 

幸い、母の自宅の隣の駅にその転院病院があるので、母も私もそれはそれで良いよね!という結論がでたので、すぐにリハビリ病院への転院話を進めてもらった。でも、そのての病院は今、ベットは満床。なので空きが出るまでの期間はこの病院に居れるらしい。といっても、タイムリミットは二度目の梗塞が見つかった日から2か月まで。その間にベッドの空きがでなかったら他のところになるらしい。

 

ふと、帰りの移動中に、以前リハビリの先生が失語症のリハビリは難しく、専門の先生を見つけるのは大変だとおっしゃっていた事を思いだした。そして、近所にはいないとも.....そして、今の病院は退院したら、通院でリハビリに通うことは出来ない。と脳外の先生もおっしゃっていたなぁ.....

とりあえず、転院先のリハビリ病院のHPを見てみなくては.....

 

入院21日目 お誕生日

今日は母の77回目のお誕生日

 

娘と母の大好きな、TOP'sのチーズケーキとお花を買って病院に向かった。

ケーキが苦手な娘に、ニコニコクリームパンも買って行った。

 

母といつものディルームに行って、🎂と7のろうそく2本を立てて、さすがに火はつけなかったけど、娘と2人小さな声でHappybirthdayの歌を歌った。母はとっても喜んで、火を消す真似をして盛り上がった!

 

娘「ばぁば、ケーキ楽しみにしてたんでしょ?全部食べてよいよ!」

母「〇〇ちゃんも食べてみな~!おいし~いよ~!!」

娘「そんなに美味しいの~??じゃあ、ちょっとだけ食べてみようかなぁ...?」

そして、私が1㎝くらいの厚さに切って、紙皿にとってあげる。ちょっとだけフオークで切って食べてみた!.......

娘「おいしい~!!これ〇〇の好きな味だ~!」

と言って、1㎝をペロッと食べて、もう少し食べたいなぁ...!とお代わりをした。

母も明日の分を残して、娘と二人で美味しい、美味しい!と食べていた。

 

母が入院して3週間。

失語の言葉が詰まる感じも今は全然しない。昔の事も今の事も普通に話ができているけど、やはり痩せたなぁ...と感じた。でも、先生が宿題もいっぱいだしてくれるので、甘いものがとっても食べたくなるらしい。来週先生から病状の説明があるから来てくださいといっていたよ!と母から聞いた。

何の話なのだろうか?もう退院できるのか?それはとっても嬉しい事だが、今、いきなり退院が決まっても、正直母も私も戸惑ってしまう。通院になったとしても、ずっと一人で昔のような生活はできるのだろうか?母もまだずっと一人は不安らしい。

 

その晩、Amazonで山田規畝子「壊れた脳、生存する知」を購入。

整形外科医の女医さんが高次脳機能障害になってからのお話。

医者として、モヤモヤ病から始まり、脳出血脳梗塞など数回に経験した体験談。すごく興味深く、母の心細さが腑に落ちるというか、色々と勉強になるおすすめ本です。

その中で、昨日できたことが今日できない。ということを読んで。まさしく、母と私の不安はそこにあるんだろうなぁ...と思った。そこがズバリ母の自信の無さに繋がってくのだろう。日によって、元気になれたり凹んだり。リハビリがうまくできたりできなかったり。毎日一喜一憂。今は頑張るしかないと思って頑張っているけど、ふと、不安な思いだけがとめどなく出てきそうな自分に、そちらに傾かないよう、傾かないよう日々緊張しているのかもしれないと....。私も一瞬不安になる。

来週は、どんな話になるのだろうか?