そして、直腸検査の予約

いつものように、病院で母と待ち合わせ。

やはり、待ち合わせの時は、母も私も多少不安はあるのだ。

 

脳梗塞で倒れる前から、母は待ち合わせ時間を間違えることが2度あった。

なので、梗塞で倒れてからは猶更、無事に約束の場所にきてくれるのか心配になる。

 

そして、今回も母が先に着いていた。まだ、受付をしていないというので、私も一緒についていく。.....が基本的には書類を書くのも、話を聞くのも私が代理はしない。隣にいるけど、しないようにしている。そのことが、たまに母には混乱の原因になるのかもしれないが、少しのストレスは必要なんだとリハビリの先生もおっしゃっていました。

 

そして、無事に受付を済ませ、予約外なので、もちろん待ちました~!2時間くらい待ったころ、母の番になり、私は診察室の前で母の話が終わるのを聴き耳をたてて聞きながら待っていました。

近所のかかりつけ医院の検便で再検査が必要とされ、この前まで脳梗塞で救急搬送されてこの病院に入院していたので、これちら紹介状を書いてもらって来たこと。持病の薬のこと。等ちゃんと説明ができていた。

そして、直腸検査の説明を看護婦さんから聞いてください。ということで、検査の予約日を決めて診察室からでてきた。

 

開口一番

「やっぱり、めんどくさいね~」

そして、検査の説明の順番を待っていた。母の番になり、二人で検査の詳細を聞いた。

私が聞いていても確かにややこしい!前日の食事の指導。当日の下剤2リットルの作り方と飲み方。そして、心房細動のある母は、血液サラサラの薬を飲んでいるので、当日検査中にポリープがあったとしても、その時は切らずに、後日入院して再検査し、何かあった時のために備えるそうだ。

最後に看護婦さんに、当日は何も食べてはダメですよ!と念を押されて説明が終わりました。

 

私も何だか色々と説明されて、ちょっと頭の整理をしないとだめだなぁ...と思いました。帰りに母と蕎麦屋で昼食を済ませて、各自ばらばらと家路に向かいます。

 

今、思うと.....最後の看護婦さんの当日は何も食べない.....という言葉が、あまりに印象に残りすぎてしまったのかなぁ......

 

次の出来事はまた次回!

 

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一難去って、また一難!

母が退院して、既に入院をしていたことや、そもそも脳梗塞で倒れたことまで忘れそうなこの頃なのですが、叔父もなくなり、入院費の保険請求なども終わり、ひと段落したころ.......

 

ある日、母と電話で話していると、そういえば.....と母が話しはじめました。

母「そういえば、昨日〇〇病院で薬をもらうときに、先生が、先日行った大腸検査がひっかかったから、紹介状書くので大きな病院で再検査してきてください。って言われたんだ~」とさら~と言うので、びっくりした私は...

私「なにそれ!どういうこと??」

詳細を聞いてみると、区の健康診断をかかりつけ医院でしてもらい、今回は大腸検査で陽性反応(血液検査も含め)がでたらしい。

そこで、以前救急搬送された病院で、再検査をしてもらいたいと母がかかりつけ医に相談したところ、紹介状を書いてくれることになったので、付いてきてほしい。ということだった。

 

調子が悪かったりしたのか?と私が聞くと、母は全然!!と答える。そして、前日にトマトをいっぱい食べたからではないか?と私に聞くので、それはない!!と答え、二人で笑った。

病院には一週間後に行くことにしたので、それまでに先生から紹介状をもらっておくことになり、話は終わった。

 

ただ、以前、今の検便検査はとても素晴らしいので、かなり正確に大腸がんを発見できると聞いたことがあったので、少し心配になった。

大腸がんは比較的進行が遅いらしい。ましては、80近い老人の場合、若者に比べれば余計進行は遅いのだろう。

 

母の話を何度か大腸検査をしたことのある主人に話したところ、老人には、かなりキツイ検査になるのではないか?と話していた。

何しろ、検査当日に2リットルの下剤を飲むのが、かなりきついらしいので、病気の心配というよりも、検査の心配のことの方が先に立つ。

 

とりあえずは、紹介状を持って先日退院した病院の内科を受診して、検査の予約をとってからの話なので、詳細はまた後日......。

 

それにしても、何というか、やはり寿命というものがあるんだろうなぁ.....と漠然に感じた。だんだん、母も周りの家族も死について色々、覚悟と準備を決めて行きなさい。と神様にでも言われているよな......

母も口にはしないが、色々と考えることはあることだろう.....

 

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突然、叔父が亡くなった!

母は既に普通の生活を送っております。

 

先日、母の姉の旦那さんが亡くなりました。

私にとっては、とても大好きな叔父で、98歳という大往生でしたので、今回の葬儀では一度も涙がでませんでした。

だって、よく頑張ったと思いませんか?

叔父は一代で商売を成功させ、気が細かく、口は悪いがとてもやさしい人でした。

葬儀の日は、たまたま叔母の命日、叔父の奥さんであり、母の姉!の7回忌のため、親戚みんなで集まる予定ではあったのです。

叔母の七回忌から、叔父のお葬式に変更になりはしましたが、みんな叔父の頑張りように、よく頑張ったとしかでてきませんでした。

叔父のその顔は、まるで眠っているかのような顔色、顔つきで、葬儀屋さんに身支度をしていただいてる時も、起きてくるのではないかと、本気で考えてしまいました。

 

そしてまた、この前退院したばかりの母も、色々とよく動いてくれました。

さすがに、接客一筋で来ただけの事はある!気配り、タイミング、等改めて、母を尊敬できた集まりでした。

 

母の家計は、もともとみんな長生きです。

糖尿病はなく、心臓細動、喘息など、悪い遺伝もありますが、ほぼ平均寿命です。

今回の叔父は血のつながりはないので、なんともですが、それでも、98は立派です。

いつもは疎遠になりがちな親族が、冠婚葬祭の時は、一斉に集まりますが、その面々を見ていると、私も含め、既に誰がいつ何が起こっても.....という状態だと痛感しました。なので、海外旅行とか、離島とか?すぐに動けないところには極力行くのを我慢しよう!と思いました。

 

何だか、このブログを始めたのも、もしかしたら、母が亡くなった後に色々読み返して、時には懐かしく、時には悲しく、今ある状況の答え合わせをして次に(自分の時に)つなげようという私なりの自己防衛本能の現れなのかもしれませんね!?

その答えは、まだわかりませんが....

 

夏って本当に嫌いです。

暑いし、暑いし、暑いし、汗はダラダラでてくるし、汗をかいて服が濡れているのに、冷房の効いたところに急に入って、お腹痛くなったりするしっ!

お日様がありがたいということは、重々承知してるのですが、それでも、この頃やりすぎです。私の心配事は夏になるとかなり増えます。ストレス度強です。

先日、主人とも話していたのですが、私たちが子供の頃って、こんなに暑かったっけ?

熱中症という言葉もなく、そんなに倒れる人もいなかったように感じるのは、私だけなのでしょうか??

 

とりあえず、エアコンは必需品!

お宅のエアコン古くなっていませんか?? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

既に、退院してかなりが経っているのです。

49日の入院を経て、1ヵ月以上が経っています。

 

母も、最初は家事に追われ、恐る恐る生活をしていましたが、今では一人で電車にも乗れ、病院や買い物も一人で考え行動できる昔の生活に戻りました。

ただ、父に自転車だけは止められているので、買い物も少しづつ、出来るだけ日に一度は外に出ようとは、思っているみたいです。

あのお風呂大好き母でしたが、最初は狭い家風呂で我慢していました。が、既に銭湯通いは復活、長湯はもうしない!と決めているみたいですが、それも、どこまで守れているのか?

 

私も、最初の時でこそ、いちいち付き添いをしていましたが、日々、幼稚園の仕事や、家事など、自分の生活ですぐにできなくなりました。

それが良かったのか?母も私を待つことなく、自分の姉弟と会ったりしています。

ただ、電話で話すことはできるだけ一日おきくらいにはしています。

 

長年仕事をして、倒れ、入院し、無職になり、日々家事だけをするという生活に、母がどうやり過ごしていくのか?心配でした。

退院してから、リハビリの病院には結局一度も行っていません。

 

自分でもそろそろリハビリをいた方が良いと感じているらしく、公共の場所でやっている、老人会みたいなのの、脳トレはないか探してと頼まれました。

ただ、今は暑くて、昼間の外出は危険なので、秋口から始められるようなものを探しているところです。

どこの市区町村も、お年寄りのボケ対策みたいなものは活発で、探せば結構色々ありそうです。

 

そういえば、母が自宅に戻って直ぐに、介護保険の認定士?みたいな方が聞き取り調査で訪問されたと母が言っていましたが、それから、何の連絡もなく、介護申請が通ったのか?だめならだめで、ハガキでも着てよさそうだったけど、今だ、母に聞いても、

何も来ていない!いうことです。

まぁ、要介護にはなるわけがないだろう?とは思ってはいますが、一応、結果は教えて頂きたいですよね!

そのうち、一度問い合わせてみようと思っています。

 

その結果はまたおいおい!!

 

 

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入院49日目、まさかの.....

またまたご無沙汰してます。

 

前回、介護申請の記事を書いていたのに、49日目.....急な退院!!

おめでとう!!無事に退院だ~!!

 

前回の記事から1週間後の49日目、無事退院できました。

介護申請してから、その週末に外泊願を出したのですが.....それは突然でした。

ある日、私に担当医から連絡があった。

先生「それからの病状を説明したいので、病院に来ていただけますか?」

と、鬱っぽい母の事が気になったので、明日、病院に行くことにした。

電話を切って、どんなこと言われるのかなぁ....?いやな事でも??色々と思いは巡る。

 

翌日、先生と待ち合わせた時間の少し前に母の病室を訪れると、既に先生がいらした。

 

早速、先生から本題と思われる退院の提案があった。

先生曰く、母は、脳外的には既に治療は終わっており、本人も退院したいと言っているし、通院たげけなら、自宅の近所の病院を紹介します。

という話だった。話している端から母は退院できると嬉しがった。

でも、先日リハビリの先生は、今が失語の回復期で一番大切な時期だから、出来るだけ長く病院にいて、リハビリを続けて行った方が良いですよ.....!とおっしゃった気が.......

すると母が、仕事をもうしなければ退院しても大丈夫って言っていたと言い出した。

私も母の意思を尊重し、リハビリに通えるのならと退院をお願いすることにした。で!

いつにしますか?と聞くと、いつでも!!とな。

そして、3日後に退院ということになり、入院49日にして退院まで行けました!

 

と言う事で、今回母が脳梗塞で倒れ、救急車で運ばれてからのご報告は終わりです。

 

全然、役に立つ情報がありませんでしたが、一つ言えるのは、75歳以上の後期高齢者証を持っていると、そして、低所得者ほど、病院に払う金額が安くなるということが解り、入院費も保険でお釣りが来るくらいで済みました。

もちろんですが、保険金で全額入院費が支払えた場合、高額医療費の申請はできません。(だって、実質支払金額は0円なので。)

 

 

今回の母の脳梗塞騒動は、本当に良い勉強になりました。いつかは母も他界するんだなぁ......と。そして、せっかく助かったのだから、もう少し母にかまってあげよう!

と。

退院してからの不安は、はっきり言ってありますが、母が嬉しそうなので、その方が大事な気がします。私自身が、母にもう少し気を配らせるということが、面倒だなぁ....と思うだけで、私が頑張ろう!と決意が出来たら、何だか前向きに考えることができるような気がします。

 

まだまだ、ブログは続きます!

 

 

入院42日目 介護保険申請

毎度の事、しばらくぶりになってしまいました。

 

さて、続きから!

 

先日も入院先の病院のケアマネージャー?退院支援の担当の方から、介護保険の申請について教えていただいた。

母の場合、脳梗塞で失語とはいえ、麻痺があるわけでも、他者とコミュニケーションが取れないわけでもないので、介護申請をしても、要介護の認定がもらえないかもしれませんが、介護保険料を毎月支払っているので、保険申請をしてみてはどうですか?

仮に、要介護の認定が貰えなくても、色々な情報をおしらせしてくれますよ!

との事だったので、どうすれば介護申請ができるのかを伺った。

①まずは、母の自宅管轄の在宅介護支援センターもしくは、市区町村の高齢福祉課などで申請書を提出する。

②後日、自宅、もしくは病院(介護を必要としている人が居る場所)に訪問調査者がいらして、介護を必要としている人と接見。いくつかの質問やお話等をする。

③結果の通知書と保険書が届き、要介護区分等が記載されているらしい.....

 

時間がかかるので、早めに申請をした方が良いですよ!

 

との事だったので、在宅支援センターに行って、申請書類を提出してきた。

 支援センターの人からは、たぶん今から申請いただくと入院病院の方に訪問調査者が伺うと思いますが、詳細は私の方に連絡が入るということだった。そして介護サービスのガイドブックをいただいた。

 

本当に介護保険申請といい、このガイドブックといい、まだまだ私の知らない世界はいっぱいだ!

因みにいただいたガイドブックの内容は、何と言ったら良いのかなぁ...

良く駅に置いてある美容院とかのフリー情報誌を、介護関係にした感じ?

表紙には...

「介護が必要になった方やご家族のための介護と介護保険ナビ・マガジン」

と書いてあります。

一応、外部委託とはいえ市区町村のガイドブックなので、保険の仕組みや保険料についての説明はのっています。そして、求人雑誌のように、それぞれの段階に必要になりそうなディケアの病院や訪問介護、食事の宅配など色々な業者がいっぱいあって、かなり商売っ気がある1冊になっていました。

でも、知らないことがいっぱい載っているので、役立つ1冊ではありました。

 

帰りに病院に寄り母に申請をしてきたことを伝えて、ガイドブックを渡した。

母も以前よりは、鬱っぽい症状もなくなっていたが、転院に向けての脳トレがかなり難しくなっている様子で、毎日大変だと言っていた。

がんばれ、がんばれ!!

 

 松山千春....母は全然聞いたことがないけどね...

 

39日目 転院先病院で打合せ

久し振りのブログになってしまった。が、続きから書こう。

 

母の転院先病院は、母の家から歩いても行ける距離にあった。新しくできた病院で、そんなところに病院があったことに母も私も気が付かなかった。

まずは、HPで下調べ。

新しいだけあって、施設も設備も素晴らしく、スタッフについてはよくわからないが、HPを見ていると、素敵な有料老人ホームみたいな感じに思えて、金額の事が不安になった。

 

案の定、病院の話としては.....

 母の退院期限(病名がついた日から2か月)、一か月くらいの間でベットを用意できるのは、個室しかないということ、個室の差額ベット代は大体1日10,000円で着替えなど身の回りの品もこの料金に含まれる。

 リハビリ時間は、1日3時間だけど、すべての時間に失語に関するトレーニングができるわけではなく、体力回復するトレーニングと並行する。

1度入院すると、退院までは大体1ヵ月単位で決まっていく。ということは、最低1ヵ月はかかるということ。

 万が一、4人部屋が空いたとしても、おそらくその部屋では眠れないと思う。なぜかというと、4人部屋は重度の認知症のお年寄りがほとんどなので、夜中に奇声を発したり、俳諧したりと母のような認知症ではない人は、夜眠れないと思います。とのこと。

 

結果、個室が空いたらということで、空き次第病院に連絡が来ることになった。

 

 転院病院との話し合いの内容を母と病院の担当の方にお話しして、病院からその話をすすめてもらうことにした。

母も個室ということにかなりの抵抗を感じていたみたいだが、4人部屋では眠れないと承知したのか、おそらく1ヵ月で退院だろうということで、転院を納得した。

 

帰りに母と少し話して、今も眠れていないというので、担当の看護婦さんに睡眠薬をだしてくれないか頼んで、その日は帰った。

 

帰り道、私も月30万なら母の保険の特約で払うことが出来そうだ!と思ったが、お金がかかりそうだなぁ....等と、色々考えながら、家路に向かった。

 

母も少し吹っ切れた感じに見えたが!?

 

そういえば、近所の介護保険事務所みたいなところを紹介された。母は日常生活を普通にこなせているけど、介護認定の申請をしてみてください。と言われた。

その事務所の話はまた次回。

 

母の安心保険だそうです。