突然、叔父が亡くなった!

母は既に普通の生活を送っております。

 

先日、母の姉の旦那さんが亡くなりました。

私にとっては、とても大好きな叔父で、98歳という大往生でしたので、今回の葬儀では一度も涙がでませんでした。

だって、よく頑張ったと思いませんか?

叔父は一代で商売を成功させ、気が細かく、口は悪いがとてもやさしい人でした。

葬儀の日は、たまたま叔母の命日、叔父の奥さんであり、母の姉!の7回忌のため、親戚みんなで集まる予定ではあったのです。

叔母の七回忌から、叔父のお葬式に変更になりはしましたが、みんな叔父の頑張りように、よく頑張ったとしかでてきませんでした。

叔父のその顔は、まるで眠っているかのような顔色、顔つきで、葬儀屋さんに身支度をしていただいてる時も、起きてくるのではないかと、本気で考えてしまいました。

 

そしてまた、この前退院したばかりの母も、色々とよく動いてくれました。

さすがに、接客一筋で来ただけの事はある!気配り、タイミング、等改めて、母を尊敬できた集まりでした。

 

母の家計は、もともとみんな長生きです。

糖尿病はなく、心臓細動、喘息など、悪い遺伝もありますが、ほぼ平均寿命です。

今回の叔父は血のつながりはないので、なんともですが、それでも、98は立派です。

いつもは疎遠になりがちな親族が、冠婚葬祭の時は、一斉に集まりますが、その面々を見ていると、私も含め、既に誰がいつ何が起こっても.....という状態だと痛感しました。なので、海外旅行とか、離島とか?すぐに動けないところには極力行くのを我慢しよう!と思いました。

 

何だか、このブログを始めたのも、もしかしたら、母が亡くなった後に色々読み返して、時には懐かしく、時には悲しく、今ある状況の答え合わせをして次に(自分の時に)つなげようという私なりの自己防衛本能の現れなのかもしれませんね!?

その答えは、まだわかりませんが....

 

夏って本当に嫌いです。

暑いし、暑いし、暑いし、汗はダラダラでてくるし、汗をかいて服が濡れているのに、冷房の効いたところに急に入って、お腹痛くなったりするしっ!

お日様がありがたいということは、重々承知してるのですが、それでも、この頃やりすぎです。私の心配事は夏になるとかなり増えます。ストレス度強です。

先日、主人とも話していたのですが、私たちが子供の頃って、こんなに暑かったっけ?

熱中症という言葉もなく、そんなに倒れる人もいなかったように感じるのは、私だけなのでしょうか??

 

とりあえず、エアコンは必需品!

お宅のエアコン古くなっていませんか?? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

既に、退院してかなりが経っているのです。

49日の入院を経て、1ヵ月以上が経っています。

 

母も、最初は家事に追われ、恐る恐る生活をしていましたが、今では一人で電車にも乗れ、病院や買い物も一人で考え行動できる昔の生活に戻りました。

ただ、父に自転車だけは止められているので、買い物も少しづつ、出来るだけ日に一度は外に出ようとは、思っているみたいです。

あのお風呂大好き母でしたが、最初は狭い家風呂で我慢していました。が、既に銭湯通いは復活、長湯はもうしない!と決めているみたいですが、それも、どこまで守れているのか?

 

私も、最初の時でこそ、いちいち付き添いをしていましたが、日々、幼稚園の仕事や、家事など、自分の生活ですぐにできなくなりました。

それが良かったのか?母も私を待つことなく、自分の姉弟と会ったりしています。

ただ、電話で話すことはできるだけ一日おきくらいにはしています。

 

長年仕事をして、倒れ、入院し、無職になり、日々家事だけをするという生活に、母がどうやり過ごしていくのか?心配でした。

退院してから、リハビリの病院には結局一度も行っていません。

 

自分でもそろそろリハビリをいた方が良いと感じているらしく、公共の場所でやっている、老人会みたいなのの、脳トレはないか探してと頼まれました。

ただ、今は暑くて、昼間の外出は危険なので、秋口から始められるようなものを探しているところです。

どこの市区町村も、お年寄りのボケ対策みたいなものは活発で、探せば結構色々ありそうです。

 

そういえば、母が自宅に戻って直ぐに、介護保険の認定士?みたいな方が聞き取り調査で訪問されたと母が言っていましたが、それから、何の連絡もなく、介護申請が通ったのか?だめならだめで、ハガキでも着てよさそうだったけど、今だ、母に聞いても、

何も来ていない!いうことです。

まぁ、要介護にはなるわけがないだろう?とは思ってはいますが、一応、結果は教えて頂きたいですよね!

そのうち、一度問い合わせてみようと思っています。

 

その結果はまたおいおい!!

 

 

 この頃、母に送っているお米です。

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入院49日目、まさかの.....

またまたご無沙汰してます。

 

前回、介護申請の記事を書いていたのに、49日目.....急な退院!!

おめでとう!!無事に退院だ~!!

 

前回の記事から1週間後の49日目、無事退院できました。

介護申請してから、その週末に外泊願を出したのですが.....それは突然でした。

ある日、私に担当医から連絡があった。

先生「それからの病状を説明したいので、病院に来ていただけますか?」

と、鬱っぽい母の事が気になったので、明日、病院に行くことにした。

電話を切って、どんなこと言われるのかなぁ....?いやな事でも??色々と思いは巡る。

 

翌日、先生と待ち合わせた時間の少し前に母の病室を訪れると、既に先生がいらした。

 

早速、先生から本題と思われる退院の提案があった。

先生曰く、母は、脳外的には既に治療は終わっており、本人も退院したいと言っているし、通院たげけなら、自宅の近所の病院を紹介します。

という話だった。話している端から母は退院できると嬉しがった。

でも、先日リハビリの先生は、今が失語の回復期で一番大切な時期だから、出来るだけ長く病院にいて、リハビリを続けて行った方が良いですよ.....!とおっしゃった気が.......

すると母が、仕事をもうしなければ退院しても大丈夫って言っていたと言い出した。

私も母の意思を尊重し、リハビリに通えるのならと退院をお願いすることにした。で!

いつにしますか?と聞くと、いつでも!!とな。

そして、3日後に退院ということになり、入院49日にして退院まで行けました!

 

と言う事で、今回母が脳梗塞で倒れ、救急車で運ばれてからのご報告は終わりです。

 

全然、役に立つ情報がありませんでしたが、一つ言えるのは、75歳以上の後期高齢者証を持っていると、そして、低所得者ほど、病院に払う金額が安くなるということが解り、入院費も保険でお釣りが来るくらいで済みました。

もちろんですが、保険金で全額入院費が支払えた場合、高額医療費の申請はできません。(だって、実質支払金額は0円なので。)

 

 

今回の母の脳梗塞騒動は、本当に良い勉強になりました。いつかは母も他界するんだなぁ......と。そして、せっかく助かったのだから、もう少し母にかまってあげよう!

と。

退院してからの不安は、はっきり言ってありますが、母が嬉しそうなので、その方が大事な気がします。私自身が、母にもう少し気を配らせるということが、面倒だなぁ....と思うだけで、私が頑張ろう!と決意が出来たら、何だか前向きに考えることができるような気がします。

 

まだまだ、ブログは続きます!

 

 

入院42日目 介護保険申請

毎度の事、しばらくぶりになってしまいました。

 

さて、続きから!

 

先日も入院先の病院のケアマネージャー?退院支援の担当の方から、介護保険の申請について教えていただいた。

母の場合、脳梗塞で失語とはいえ、麻痺があるわけでも、他者とコミュニケーションが取れないわけでもないので、介護申請をしても、要介護の認定がもらえないかもしれませんが、介護保険料を毎月支払っているので、保険申請をしてみてはどうですか?

仮に、要介護の認定が貰えなくても、色々な情報をおしらせしてくれますよ!

との事だったので、どうすれば介護申請ができるのかを伺った。

①まずは、母の自宅管轄の在宅介護支援センターもしくは、市区町村の高齢福祉課などで申請書を提出する。

②後日、自宅、もしくは病院(介護を必要としている人が居る場所)に訪問調査者がいらして、介護を必要としている人と接見。いくつかの質問やお話等をする。

③結果の通知書と保険書が届き、要介護区分等が記載されているらしい.....

 

時間がかかるので、早めに申請をした方が良いですよ!

 

との事だったので、在宅支援センターに行って、申請書類を提出してきた。

 支援センターの人からは、たぶん今から申請いただくと入院病院の方に訪問調査者が伺うと思いますが、詳細は私の方に連絡が入るということだった。そして介護サービスのガイドブックをいただいた。

 

本当に介護保険申請といい、このガイドブックといい、まだまだ私の知らない世界はいっぱいだ!

因みにいただいたガイドブックの内容は、何と言ったら良いのかなぁ...

良く駅に置いてある美容院とかのフリー情報誌を、介護関係にした感じ?

表紙には...

「介護が必要になった方やご家族のための介護と介護保険ナビ・マガジン」

と書いてあります。

一応、外部委託とはいえ市区町村のガイドブックなので、保険の仕組みや保険料についての説明はのっています。そして、求人雑誌のように、それぞれの段階に必要になりそうなディケアの病院や訪問介護、食事の宅配など色々な業者がいっぱいあって、かなり商売っ気がある1冊になっていました。

でも、知らないことがいっぱい載っているので、役立つ1冊ではありました。

 

帰りに病院に寄り母に申請をしてきたことを伝えて、ガイドブックを渡した。

母も以前よりは、鬱っぽい症状もなくなっていたが、転院に向けての脳トレがかなり難しくなっている様子で、毎日大変だと言っていた。

がんばれ、がんばれ!!

 

 松山千春....母は全然聞いたことがないけどね...

 

39日目 転院先病院で打合せ

久し振りのブログになってしまった。が、続きから書こう。

 

母の転院先病院は、母の家から歩いても行ける距離にあった。新しくできた病院で、そんなところに病院があったことに母も私も気が付かなかった。

まずは、HPで下調べ。

新しいだけあって、施設も設備も素晴らしく、スタッフについてはよくわからないが、HPを見ていると、素敵な有料老人ホームみたいな感じに思えて、金額の事が不安になった。

 

案の定、病院の話としては.....

 母の退院期限(病名がついた日から2か月)、一か月くらいの間でベットを用意できるのは、個室しかないということ、個室の差額ベット代は大体1日10,000円で着替えなど身の回りの品もこの料金に含まれる。

 リハビリ時間は、1日3時間だけど、すべての時間に失語に関するトレーニングができるわけではなく、体力回復するトレーニングと並行する。

1度入院すると、退院までは大体1ヵ月単位で決まっていく。ということは、最低1ヵ月はかかるということ。

 万が一、4人部屋が空いたとしても、おそらくその部屋では眠れないと思う。なぜかというと、4人部屋は重度の認知症のお年寄りがほとんどなので、夜中に奇声を発したり、俳諧したりと母のような認知症ではない人は、夜眠れないと思います。とのこと。

 

結果、個室が空いたらということで、空き次第病院に連絡が来ることになった。

 

 転院病院との話し合いの内容を母と病院の担当の方にお話しして、病院からその話をすすめてもらうことにした。

母も個室ということにかなりの抵抗を感じていたみたいだが、4人部屋では眠れないと承知したのか、おそらく1ヵ月で退院だろうということで、転院を納得した。

 

帰りに母と少し話して、今も眠れていないというので、担当の看護婦さんに睡眠薬をだしてくれないか頼んで、その日は帰った。

 

帰り道、私も月30万なら母の保険の特約で払うことが出来そうだ!と思ったが、お金がかかりそうだなぁ....等と、色々考えながら、家路に向かった。

 

母も少し吹っ切れた感じに見えたが!?

 

そういえば、近所の介護保険事務所みたいなところを紹介された。母は日常生活を普通にこなせているけど、介護認定の申請をしてみてください。と言われた。

その事務所の話はまた次回。

 

母の安心保険だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

入院36日目 母がおかしい。

 

 

昨日、母から電話があった。

明日外泊をしたいから迎えに来て!ということだった。今週は私も忙しいし、先週帰ったんだから、今週だけは我慢してくれないか?とお願いして一度はあきらめた母だったが、数時間後にやはり帰りたい。と言われた。イラつきながらも、明日迎えに行く約束をした。

電話を切った後、何か違う母の様子を思い出した。電話で言葉が出にくくなっていた。

入院したての頃の言葉の出ない感じにすごく似ていて不安な気持ちにもなったが、その時は、この忙しいときに.....とイライラの感情で、気が付かぬふりをした。

 

そして、イライラを押し殺しながら次の日、病院に迎えに行ってから実家に届けて、今回は病院に送っていくのは父に頼んだ。

 

帰りに、やっぱり母の言葉は出にくくなっているし、少し落ち着きもなく、鬱っぽい。と確信した。それとなく、母に聞いてみたが、やはりこの頃眠れないといっていた。そして、病院を転院する話が具体的になっていて、そのベットが空き次第ということで、私に病院の地域医療担当?のかたに会ってくれというのだ。頭がパニックになって話を私にうまく伝えられないかららしいのだ。

そして、週明けにその方に会って、その日の内に病院にも行ってきた。これで母は納得するのかと思ったが、まだまだ鬱っぽく落ち着かない感じがあるので、内心、また脳梗塞が起こっているのではないか?と先生に検査を頼もうかと思うくらいだった。

 

ただ、倒れる前にも同じくらいの季節で、夜眠れないくて少し鬱っぽいと言っていたことがあったと思い出した。脳梗塞と鬱とは関係がないんだなぁ.....と気が付いた。

 

転院も色々とあるし.....その話は次回につづく。

 

母の脳トレように買いました。 

暇つぶしにはなるらしいです。

思わず解きたくなる脳のための毎日テスト

思わず解きたくなる脳のための毎日テスト

 

 

 

入院33日目 最初の入院費。

昨日の老人姉弟大集合に続き、今日は母の二度目の外泊。

前回は、お赤飯をちゃんと作れたし、初めての外泊ということで、みんな恐る恐るだったけど、二度目の今回は、ちょっと慣れた感じ。

そうそう、入院費の第一回目支払額は......10日で.約¥7万円。

集中治療室2日、一般病棟2人部屋の一人使用4日。MRI2回、CT1回、アルテプラーゼ1回かなぁ.....?

明細書を見ても良くわからず、まとめて書いてあるみたいなところもあり、大体こんな感じです。因みに、後期高齢者医療書1割負担です。思ったより安かった。と母とも話していたが、入院がいつまでなのか?既に1か月は入院しているから、長い場合は転院もあると言っていたし、こんな出たり入ったりがいつまで続くかわからない。本当は早く退院して落ち着きたいけど、1人だとまだ不安はある.....と母。

 

入院して1か月、少しづつこれからの事を考える余裕がでてきたことには変わりがないのだろう。脳トレリハビリとはいえ、麻痺があるわけでもない自分が、やはり、入れ替わりの激しい4人部屋で、時にはおならも我慢する生活を続けてなくても良いのじゃないかと、思い始めたというか、ストレスの限界になってきたのかもしれない。

 

今回は、やるべきことを考えてきたらしく。まず、生命保険の書類の話を私とした。そして、買い物に行ったり、色々と支払いをしたりと、結構忙しく、一通り用事を済ませて、私は帰った。

私も今週は、忙しさのピークなので、時間にも気持ちにも余裕がない。本当は明後日、母と一緒に病院に戻る時間も惜しい。

 

こんな時、仕事をしながら介護などをしている人が、みんながんばってるんだなぁ...とつくづく思う。親の面倒を見るということの重圧。これは、一つ間違えると、子供の人生が変わってしまうくらいになるということが、リアルに想像できるようになった。

母が倒れて1か月、この頃、気が付くと家が汚くなっていたり、家事が残っていたり、買い物に行けず、常食が冷蔵庫になくなる日が出始めていることに気が付いた。

主人は、2年前に父を亡くしているので、そのことに関して文句を言われたことはないが、自分の中で危機感があるのは、この頃すごくわかっていて、私自身も、早く母のこれからの方向性がというか、スケジュールを教えてほしい!!

明日は娘の発表会。とりあえず、それが終われば1つは気持ちの余裕ができるかな?....

 

この頃、娘を主人に任せることが多いので、二人の為に買いました。

5才の娘にもできる。子供用囲碁です。(主人は囲碁ができません。)

 

よんろのご(日本棋院推薦)

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